年寄りのたわごと

余命いくばくもない老人のぼやき、憂い、愚痴、恐れ。

※「自分だったら生きたいとは思わない」の深層

アムステルダム聖ニコラス教会
 行きつけの病院に行く。自宅から歩いて5分ばかりのところにある中規模の病院である。
相変わらず地域の老人が多い。
 
長椅子に座って順番を待っているとすぐ前の椅子に、背中を丸めてヨタヨタとすり足をしている老婆と、その老婆の腕をしっかりと支えている息子らしき男性が来た。
その男性は頭も白く70歳位に見えた。
長い人生を歩いて年老いた母親を、すでに初老になった息子がやさしく手をつなぐ姿を見て、ほほえましい気持ちになった。
 
しかし同時に、近い将来の自分の姿を重ねると複雑な心境である。
ついこの間までこのような情景を見ると、「自分だったら息子に手を引かれてまでは生きたいとは思わない」と心の中でつぶやいていた。
 
 だが、このような言葉を発すると、それはまさにヘイトクライムであるという文言を読んだ。(誰の文か忘れてしまった。私も記憶の薄れる年寄りです)
 SNS上などで「自分がそうなったら死ぬ」なんて安易に書き込みをしたならば、「あなたのその状態が死ぬほどイヤです」と宣言しているのと同じである、という。
たしかに、自分の中では、その人を否定することになり、その人の存在を嫌悪することになる。
 人はそれぞれ生まれた環境、生い立ちの中で必死に生きているのだから、短絡的に決めつけることはできないだろう。
もっと愛と寛容を持って生きていこう。余生は短いが・・・。